「本物」という幻想:京都から学ぶ、期待と体験のマネジメント

なぜ人は「観光地化された場所」に冷めてしまうのか。人気がブランドを壊すというジレンマ

【記事の概要】

京都の景観条例やオーバーツーリズムの現状から、現代のグローバル・ブランディングとPR戦略の本質を紐解きます。SNS時代における「社会的評判」の守り方と、顧客の期待値をコントロールするブランド管理のあり方とは。

日本の観光業は今、かつてない狂騒の渦中にある。

2025年、日本を訪れた外国人観光客数は過去最高の4,270万人に達した。初めて4,000万人の大台を突破し、インバウンドの観光消費額は9.5兆円を記録。政府は2030年までに6,000万人という、さらに高い目標を掲げている。

その熱狂を象徴するのが京都だ。人口140万人のこの古都に、2024年だけで1,088万人もの外国人観光客が押し寄せた。混雑する日には1日約15万人が特定の観光地区に集中し、ピーク時には「街にいる10人に1人以上が観光客」という計算になる。

当然、そこには歪みも生まれる。読売新聞の調査によると、京都住民の約90%が「観光の混雑によって日常生活が悪化している」と回答した。特に東山区では、外国人観光客が1年間で66%も急増した一方で、日本人観光客は12%減少したという。日本人自身が足を運びにくくなるほどの混雑ぶりだ。

コロナ禍の、あの静まり返った京都を覚えているだろうか。誰もいない静寂な路地、お坊さんの読経が響く寺院、洗練された食事。あの「本物の京都」は、確かに言葉にできないほど素晴らしかった。もちろん、その景色は今もどこかに隠されているはずだ。しかし、私たちが求める「本物」という言葉にどこか引っかかりを覚えるのは、抱いている幻想と、目の前の現実が一致しないからではないだろうか。

こうした圧倒的な数字の裏側に、愛されるべき場所が単なる「ツーリスト・トラップ(Tourist Trap)」へと一変してしまう境界線が隠されている。

そもそも、多くの人を惹きつけてやまない場所、いわゆるツーリスト・トラップとは、単に観光客が群がる場所を指すわけではない 。それは、「他の観光客のせいで台無しにされた」と人々が感じてしまう場所のことだ 。  社会的に本物らしいと認識されているうちは、その場所は、文化的に価値を持つ存在として評価される 。しかし、観光客が押し寄せすぎると、途端に「人工的で商業化された、行く価値のない場所」へと格が下がってしまう傾向にあるのだ。

これは、典型的なブランディングの課題だ。

人々が特定の場所を「観光地化されて冷めた」と言うとき、本当に意味しているのは、その場所が自分にとって特別なものでなくなったということではないだろうか。あまりに多くの人が訪れた瞬間に、その場所を独占している感覚が消え去ってしまうからだ。

現代の旅行者は、常に矛盾を抱えている。

定番の名所を訪れたいと願う一方で、自分だけが見つけたような、隠れた手つかずの体験を求めている。それにもかかわらず、多くの人がSNSのインフルエンサーが投稿した、まったく同じルートをなぞっているのが現実だ。渋谷スクランブル交差点や浅草寺、チームラボ、下北沢などがその典型と言える。

彼らが本当に探しているのは、客観的な現実ではない。

自らの期待が満たされるという感情的な価値に他ならない。

観光とは、常に「計算されたパフォーマンス」である

観光というビジネスの本質は、決して自然に生まれたものではない。

都市や地域はいつの時代も、外部の目を意識して自らを演出し、独自の「文化」という物語を形づくってきた歴史があるからだ。

その文化の本質とは、その土地の人々が生き残り、誇りを守り、経済的なチャンスを掴むために、時代に合わせて変化させてきたものと言える。自らのアイデンティティを保護し、時には商業化し、外部に向けて「演じて」きたプロセスそのものなのだ。

だからこそ、旅行者が「これぞ本物のローカル文化だ」と感動する景色の多くは、実は激しい商業化の波の中で、たまたま分かりやすい形で生き残った一側面にすぎない。

文化は決して静止したものではなく、経済、グローバル化、メディア、そして観光によって常に変化し続けている。

法律で完璧にコントロールされた「古都・京都」

京都は、その最もわかりやすい事例だ。

世界中の人々が京都を想うとき、時の流れから切り離されたかのような街並みを想像する。手つかずの寺社仏閣、静寂な路地、何百年も続く伝統。

しかし、私たちが感動するその時代を超越した美しさの本質は、現代の厳格な景観保全政策と、徹底された「イメージ戦略」がもたらした最高傑作でもある。

京都のあの佇まいは、「景観」を守るために、法律によって徹底的にコントロールされている。京都の街を歩いても、セブンイレブンやローソンのお馴染みの鮮やかなコーポレートカラーを目にすることはない。コンビニチェーンでさえ、伝統的な景色に溶け込むために、法律によってシックな茶色や落ち着いたトーンへの変更を義務付けられている。建物の高さも厳しく制限されているため、空へと伸びる超高層ビルが存在せず、何十年もの間、スカイラインがほぼ変わらないまま維持されているのだ。

歴史的な街並みは長年にわたる保存活動によって受け継がれ、四季折々の美しさは世界中の人々へと発信されている。訪れる人々がその魅力に触れやすいよう街並みや観光環境も整備されており、京都ならではの伝統的な雰囲気は、多くの人々の努力によって大切に守り育まれてきたものでもある。 

コントロールできない「人々の波」

しかし、ここには「人気になればなるほど価値が損なわれる」という難題がある。 

行政は都市の建築やブランドカラーを法律でコントロールできても、そのブランドに引き寄せられて押し寄せる人々の波まではコントロールできない。

時代とともに根本的に変わったのは、物理的な舞台ではなく、そこに立つ観客の存在だ。

桜の季節に、嵐山の有名な竹林を訪れる体験を思い浮かべてみてほしい。それはもはや、旅人が夢見るような静寂でスピリチュアルな瞬間ではない。押し寄せる圧倒的な観光客の波は、その場所の空気感を完全に書き換え、かつてそこを象徴的にしていた情緒を剥ぎ取ってしまう。

オーバーツーリズムは、最終的にまったく異なる現実を形作っていく。

どれほど完璧に舞台を設計したとしても、最終的にそのショーの質を決めるのは観客に他ならないのだ。

SNSがもたらした「本物」のコモディティ化

デジタル時代以前は、ある場所が観光地化するまでに何十年もの歳月を要していた。ガイドブックが印刷され、口コミが広がり、インフラが整備されるまでに時間がかかったからだ。

しかし、SNSはそのプロセスを飛躍的に加速させた。

かつては数世代にわたって守られてきた隠れた名所が、今やインスタグラムのリール動画やTikTokのショート動画によって、わずか数週間で世界中に消費されてしまう。世界中の人々がまったく同じアングルで写真を撮り、まったく同じフィルターをかけ、まったく同じ音楽をBGMにして投稿する。

この拡散の連鎖が起きると、人々が求めていたはずの独自の空気感やアイデンティティは瞬時に失われてしまう。

結果として残るのは、均一化され、コモディティ化され、演出された舞台だけだ。

旅行者がその場所に失望し、観光地化されていてもう本物ではないと不満を漏らすとき、彼らが本当に批判しているのは、実はその場所そのものではない。

ネットで見た通りの体験を自分だけで独占できなかったという、自らの期待値とのギャップに対して失望しているのだ。

観光PRの新しいルール:重要なのは「現実」ではなく「人々が抱くイメージ」

SNSによって一瞬で情報が拡散し、誰でも発信者になれる現代において、真のPR戦略とはバイラルが起きた後、いかにブランドの情緒的な価値を守り抜くかという点にある。

どれほど混雑していても、訪れた人々がここでしか得られない本物の感情を持ち帰ることができれば、そのブランドが毀損されることはない。

逆に、どれほど美しい景色を法律で守っていても、押し寄せる人々の波によって空気感が台無しになれば、その場所はオンライン上で一瞬にして行く価値のない場所へと格下げされてしまう。

現実がどうであるか以上に、人々がそれをどう知覚し、どう感じたかがすべてを決定する時代なのだ。

結論:「本物」を守る仕事は、期待値を管理することである

京都の事例が示しているのは、「本物」とは決して客観的な事実ではないということだ。

どれほど歴史的価値があり、美しい景観が維持されていても、人々が期待した体験を得られなければ、その場所は「観光地化されすぎた」「もう本物ではない」と評価される。一方で、多くの観光客で賑わう場所であっても、期待を上回る感情的な体験を提供できれば、その価値は失われない。

つまり、ブランドの評価を決めるのは現実そのものではなく、「期待」と「体験」の差なのである。

これは観光地だけの話ではない。

企業ブランド、商品ブランド、都市ブランド、国家ブランドのすべてに共通する原則だ。SNSによって情報が瞬時に拡散する時代においては、どれだけ注目を集めるかよりも、その注目によって生まれた期待をどう管理するかが重要になっている。

多くの企業はPRを「認知拡大の手段」と考える。しかし本来のPRとは、単に話題をつくることではない。社会が抱く期待と実際の体験のギャップを最小化し、長期的な信頼と評判を守るための活動である。

京都が直面しているオーバーツーリズムの問題は、観光の問題であると同時に、ブランドマネジメントの問題でもある。

ブランドが成功すればするほど人は集まる。しかし、人が集まりすぎれば、そのブランドが約束していた価値そのものが損なわれる可能性がある。

だからこそ、現代のPRに求められる役割は、注目を集めることだけではない。ブランドが約束できる価値を正しく伝え、社会の期待を適切に形成し、その体験が持続的に評価される環境をつくることだ。

「本物」を守るとは、過去の姿を保存することではない。人々がそのブランドに対して抱く期待と体験の関係を守り続けることなのである。

 


日本市場に参入する海外企業にとって、最初からコミュニケーションを正しく設計できるかどうかは、市場でどれだけスムーズに軌道に乗れるかを大きく左右します。

もし今、日本でのPR戦略を見直しているのであれば、グローバルな戦略とローカルな期待、その両方を深く理解しているパートナーと組むことが、大きな力になるはずです。

 


 

日本での成長を担い、パブリックリレーションズで成果を求めていますか?

パルテノンジャパンのバイリンガルコミュニケーション戦略チームが、グローバル戦略を測定可能な成果へとつなげます。

 

 


著者について

Parker J. Allen

アレン・パーカー

パルテノンジャパン株式会社 代表取締役社長。コミュニケーションおよび戦略のリーダーとして、アゴダ、エア・カナダ、オリンパス、レッドブル、スイス・リー、ストライカーなど、多くのグローバルブランドを支援。日本在住18年以上。