エピソード5: アメリカ占領から経済大国へ

人口:8200万人(1950年時点)

戦争で焼け野原になった日本から、経済大国が誕生した。もともとアメリカの占領は、アメリカのトルーマン大統領から、日本の国家を決定的に弱体化させるという指示を受けたものだった。しかしダグラス・マッカーサー司令官は、日本をアメリカ型の民主主義国家に改革し、必要な支援を与えるという、異なる計画を立てていた。彼の描く日本は、共産主義に対する資本主義の優秀さを示す象徴となるものであり、第二次世界大戦終結直後から急速に世界を分断した問題であった。

マッカーサー司令官は、多くの改革を指揮し、日本国憲法の起草に携わった。また、日本の農村の運命を一変させる大規模な土地改革を推進した。日本の耕作地の38%にあたる約470万エーカー(190万ヘクタール)は、新政府の改革計画により地主から買い取られ、460万エーカー(186万ヘクタール)が農家に払い下げられた。1950年には、全農地の89%が所有者経営となり、借地経営はわずか11%であった。

マッカーサーはまた、新憲法を用いて日本の世襲制の貴族制度を廃止し、肥大化していた皇族の権利と特権をすべて剥奪した。アメリカ占領後、皇族や貴族を名乗ることを許された日本人は、天皇とその直系20名ほどだけであった。これにより、拡張されていた皇族や華族は解体され、日本は大きく変貌した。

アメリカの占領下で、大きな貧富の差から、より平等で民主的な社会へと大きく変化していった。この頃都会への移住が始まった。戦後間もない頃農村が貧困に苦しむ中、若者が家族から都会に送られ、仕送りをするようになったのだ。

この時期、日本の人口増加は続いていた。1951年にアメリカの占領が終わった後、アメリカの支援と新政府の実用的な取り組みによって、日本の産業と商業が再建され、繁栄の渦が起こった。

整理してみると、1950年の平均年間賃金は10万100円、1960年は25万9600円、1970年は82万5900円、1980年は268万9000円、1990年は376万1000円であった。

日本の経済の奇跡についてはよく知られているため省略するが、トヨタパナソニックソニーニコンなどの日本の大企業が、有利な為替レートと勤勉な従業員を活かして、戦後初期の貧困から企業収益と賃金の両方で飛躍的に成長し、世界市場で大きな力を示した時代である。