エピソード6:地方の一時的活況を起こしたバブル時代

人口:1億1800万人(1980年時点)

日本が世界一になると、有力メディアは都市生活を偶像化した。日本の経済を牽引する大企業が大都市にありその成功が続いていたことは、地方に住む人々にとって都会の生活は優れており、より高い社会的地位に直接結びつくという感覚を強めた。大都市に移住した人々が、自身のルーツを捨て、故郷に残った人々を見下したことは、このストーリーをより強固なものにした。

事例:「ニュータウン

バブル期の不動産の動きで最も投機的だったのは、ニュータウンの出現だろう。大都市の近郊や郊外など四方八方に、極めて短期間の内に計画的コミュニティが出現した。大都市への通勤に便利である一方で、落ち着いた雰囲気で、子供が遊べるスペースも十分にあり、常に高騰している大都市の住居よりも安い価格で購入できることから、家族連れに人気を博した。

これらのニュータウンの中には、世界中の郊外型コミュニティと似て以ないわけではない。しかし、1980年代後半に存在したマジカルシンキングの典型として、特筆すべき壮大な事例がいくつかある。

1987年に大手デベロッパーの積水ハウスが始めた山梨のコミュニティ「コモアしおつ」は、JR中央線四方津駅と高台の計画地が、巨大なエスカレーターとケーブルカーのようなエレベーターで結ばれ、駅から100mほど上まで住民を乗せて動いている。当時はすごいと思ったのだろうが、この巨大な交通システムには多額の維持費がかかり、それを住民が負担しているのだ。また、斜行エレベーターで4分、200mのエスカレーターで8分と、最短の移動手段とは言い難い。

首都圏には一風変わったニュータウンが数多くあるが、東急不動産が大規模な失敗をしたプロジェクトを紹介しよう。東急不動産は千葉市緑区にゲーテッド・コミュニティ「ワンハンドレッドヒルズ」を作り60戸の豪邸を建設予定であった。1989年に始まったこの巨大プロジェクトでは、38戸の住宅を販売・建設することができたが、残り半分の分譲地は売れ残り、コミュニティの半分を文字通り空にしてしまった。38戸はまだ現存しているが、その多くは空き家で未修理の状態である。アメリカンサイズの1,500平方メートル以上の土地と400平方メートル以上の家というのは非常に魅力的であるが、産業規格の電気を使用し、全戸にセントラル空調が標準装備されているため、毎月8万円の管理費と毎月10万円以上の電気代がかかる。

しかも、最寄りの駅から車で20分、東京都心からは交通渋滞を考慮に入れなくても1時間以上かかる。ロサンゼルスのビバリーヒルズに似ていることから、誰かがチバリーヒルズと名付け、その名が定着した。私自身、コンサートやガーデンパーティに招待され、手入れの行き届いた2棟の物件を見学させてもらったが、実に真剣にこのプロジェクトに取り組んでいて、素晴らしい住宅ができあがっていた。しかし、残念なことに、このプロジェクトが始まって1年後、バブルの崩壊によって、さほど便利でない地域に2000万ドルの家を買うことは魅力的ではなくなった。これらの豪華な家は、状態にもよるが、現在は50万ドルから150万ドルで手に入れることができるようになった。これは相当深刻な価格の下落である。

1970年代から1990年代にかけて日本各地に誕生したニュータウンは、全体的に高齢化が進み、ほとんどの子どもたちが将来実家に戻ってくる予定もなく家を出て行ってしまう。その結果、これらの地域では急速に空き家が増えつつある。